ブログです、わーい
なんだか慣れません。
1人で生きてきたらこんな機会もなかったと思うので、改めて皆様にお礼申し上げたいと思います。
本当にありがとう。
さてはて、わかって欲しいっていうことではなく、思う事を書いてみようと思う。
いろいろな意見があったらぜひ聞いてみたい。
私やっぱり、音楽ほど美しいものってないと思うんです。
急になんだって話なんだけど。
経過観察で成り立つ芸術ってすごく面白い。
同じ音の中できっと、それぞれ描く景色は違って、でも同じ時間を共有してるっていう。
沢山の矛盾の中で音を鳴らせるのがありのままですごく心地よい。
人と音楽ってとても似ていると思う。
川の流れみたいに、何処かを止めることはできなくて、絶えず流れ続けているのが完成形みたいな。一部掬いあげてもその人は測れないし、常に変化するから理解するのが難しい。
成分くらいはわかるのかもだけど、それはその人じゃない気もする。
けど常にそこには在るのだと思う。
この前知人にこの話をしたら、海じゃなくて?と訊かれたのだけれど
私は海はたどり着く場所っていうイメージが強くって、どうなんだろう?
結構考えてみたけど、私は海程心を広くは持てないかなぁ、しか浮かばなかった、、
いつか海くらいになろう。焦らず、でも死ぬまでには確実にたどり着きたい。
前までは、こうであらなきゃとか、ここの地点の状態に戻さなきゃ、とか焦っていたけど
どんな音も展開も私自身だから、なんだか最近はそれで良いような気がしてきた(*´-`)
皆さんもそうであったら嬉しい。なんでか多分嬉しいと思う。
今急に、ゆく河の流れは絶えずしてしかも元の水にあらずっていう、方丈記だったような、、思い出した!無意識に影響されてたのかも!
まさしくあれ✨
私は不登校だった時期に
(いつかそれについても書こうかなーと)
ひたすら引き篭もって本を読み漁っていたのですが、伊藤計劃さんの虐殺器官という本を未だに手放せなくて。
ちょっと、抜粋ばかりで申し訳ないのだけれど
『意味を探すより、意味が無いことに耐える強さを探せばいい』(うろ覚えだから、多少違うかも、、)というやつ。
本当にその通りだなと思って
でもやっぱり反発したくって、反発できるうちは自分でいれる気がするから
いつもどうしようもない時はこれを思い出してる。
不器用だけど、多分その内は怪我しても歩いていけるんだろうなって
諦めれる様に体ができてないんじゃやるしかない(*´ー`*)
何が書きたかったんだろう、、
ただ、人ってめんどくさいけどいいなって思った…!
あのね、キャスでも少しお話しした通り
次からは少し自分のお話をさせて頂こうと思うのです。
手記的なものなのだけれど、、
私自身あまり社会的に良いとされる道を辿れなくて
昔は毎日泣いて、死んでやるって思っては踏み出せず繰り返し
そんな日々を10年くらい過ごしてました。
心休まれる所の見つけ方もわからなかったし、もう私も周りもボロボロで
でも、今はその、かなーり幸せな訳なのです。
だからね、色々な人と関わるチャンスをくれて本当にありがとう。
生きててよかったです。
少し、重たいかもしれなくて申し訳ないのですが
せめてこの場を借りてお礼させてください。
本当にありがとうっ